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つきのこども/あぶく。

おはなしにならないことごと。

象を撫でに行く

三連休に南三陸町に行ってきます。
旅行会社主催のボランティアツアー、初めての岩手です。


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震災直後、職場の同僚が仲間を募ってレンタカーで被災地ボランティアに行ったりしていました。結構沢山いたと思います。今でも継続して行ってる人もいるんじゃないかと思います。
去年職場に来たインターンシップの子は九州出身でしたが、週末にボランティアに行ったことがあると言っていました。
私は、行きませんでした。寄付も余りしていません。

余裕がなかったとか、それをやったら「気が済んで」しまいそうで怖かった、とか。
色々説明できますが、本音としては恐らく圧倒的な情報量が怖かったのだろう、と思います。それと、正常化バイアス。retweetで重要な情報やら感動やら危機感やらの溢れるタイムラインや、避難所の様子を伝える新聞やニュースや、事故についての情報や、そういったもの。熱を帯びたTLが、ネットが、情報をもたらすあらゆるものが多分、あの頃は怖かった。
震災の起きた週末、辛かったら情報は遮断しても良いのだとtwitterにポストしたのを覚えています。
淡々と日常を回すことも「今、私たちに出来ること」だから、何かしなくちゃと自分を責めなくて良いし公式RTだって貴方が必死にしなくても良い、情報なら今の時代幾らでも後から見れるから目を閉じたって誰も責められやしないと。
私たちまでもがそれで潰れるなんて全く意味がないと。
同様の発言は複数の専門家(臨床心理)の方からも出ていたので間違いではないのですが、あれはやはり、自分自身に言い聞かせていたのだなあと思います。
実際震災の翌週末、土日も含めて5日程寝込みました。
これも医者の不養生というのでしょうか。基本的にダメージは後から来る性質ですが、びっくりしました。

見るのが辛いというのと、知識を得ようとしても情報が頭に入ってこないのと、怖くて見たくないというのと。
それら全部が自分の中で、同時に起こっていたように思います。
例えば「経済を回す」という言い方があって。
自分が以前と同じ日常を送ることそれ自体も、それだけでも、巡り巡ってちゃんと、復興とか、そんな風に呼ばれるものにいつかは繋がっていくのだと考えていました。税金とか。それが間違っているとは、基本的には今でも思っていません。
それは特に震災直後、いわゆる自粛モードに陥りがちだった雰囲気に対して有効な言葉でもあったのだと思います。
私は寄付もボランティアも大してしていませんでしたが、それさえすれば安心するものは、あの時誰にとっても、多分何処にも無かった。
情報は次々入ってくる、いてもたってもいられない。だからこそ、以前と同じような日常をただ送ることにもちゃんと意味があるのだと、節電で薄暗い景色の中で言い聞かせることは私を含め、沢山の人に有効だったのだろうと思います。
でも震災から1年経って。
晴れた日に、テレビでは震災の追悼式典が中継され本屋には震災関連の書籍が並んでいるその一方で、自分自身を含めて視界に映るものたちが震災から離れて忘却の方向に勢いよく進んでいくイメージがふいにありありと見えた時に、ああもう無理だ、と思ってしまったのでした。
このままでは信じることが出来ない。
少なくとも私は、もうそういうやり方は出来そうにない、と。

それでどうするのですか、と言われたら、どうすればいいのでしょうね、としか言えないのですが。
陳腐な結論ですが、知ることはやっぱり大事です、というところからしか、やっぱりスタートのしようがない。
(といいつつ、特に物理関係は個人的には中々厳しいものがありますが。やはり中3で諦めただけのことはあった)
(そして「知るべきこと」は、この世には幾らでもある。震災関連の問題、というだけでも幾らでもある)

もしかしたら盲人が象を撫でるようなものかもしれないと思いつつ、学ぼうともしていないのに想像力とか絆とか、抽象的な事柄を説くのはやはり違う気がしてしまいます。
そして知ることで思いを馳せられるようになるものはやはりあるなあというのは、関連資料を読んでようやく多少は何かが頭に入るようになってきた、最近の実感です。

それでは知ったらどうするのですか、と言われたら、どうすればいいのでしょうね、としか言えないのですが。


そう思えるまでに、少なくとも私は1年と半年近くもかかったんです、という記録でした。