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つきのこども/あぶく。

おはなしにならないことごと。

枇杷の実のなる頃

断片 企画


されば若夏 放つておいても枇杷みのりひとの往き来のしづかさの外 / 今野寿美



種はどんな種でも種だから、埋めたら必ず芽が出るとわたしは言ったのだけれど、 あの子たちは一人としてそれを信じなかった。
煉瓦色の鉢は花壇で見つけた。団地共有の花壇は手入れする人もいなくて、夏なのに枯れた草と土の色ばかり見せていた。 私の手のひらより少し大きいくらいの鉢は土の色に紛れて、遠くからでは誰も気付かなかったのだろう。
大きめの石を底に置き、それからスコップで土を流し込んだ。砂のような土は水をかけてもかけてもいつまでも吸い込んで、なかなか黒くならなかった。

夏の記憶は水の記憶だ。
夏のまだ浅瀬の時期、ほんの一週間程しか出回らない枇杷の実をどうやって手に入れたのかは覚えていない。果物は、あの頃わたし達にとってとても高価なものだった。 ほんの数粒、産毛の生えただいだい色の果実の皮は爪を立てればするんと剥けて、噛めばすぐに茶色く光る種にあたる。枇杷の果肉はどこかすかすかしていて、口の中ですぐに消えてしまう。
果物のなる木があればいいのに、と誰かが言った。そうだねとわたしはうなずいた。欲しいもののなる木について考える、というのはわたし達のよくやった空想遊びの一つだった。わたし達が欲しいものは沢山あったけれど、それらはどうしたって、絶望的に手に入らないもののように思えた。 わたし達の欲しいあれはどうしたって手に入らない、わたし達のものには決してならない、と。それだけを、あの頃どうしてわたし達はあんなに確信できたのだろう。
長く続いた雨の終わり、差し込む日差しは風にはためくカーテン越しでも動けなくなるほど、狭い部屋の床に並んで寝転がりながら、わたし達はあらゆるものを欲しがった。 お金のなる木、桃のなる木。ギターのなる木に恋人のなる木。手に入るものはぜんぶ偽物だった。甘い水はすぐに腐る。
床の上、白い皿の中にはき出された茶色い種は光を受けて磨かれたような光沢を放っていた。
拾い上げた私の手を誰かが笑った。そんなの拾ってどうするの。枇杷よりもわたし 、桃の方が好き。 でもわたしはべたべたと甘い桃はあまり好きではなかった。
種はどんな種でも種だから、埋めたら必ず芽が出るとわたしは言ったのだけれど、 あの子たちは一人としてそれを信じなかった。

夏が過ぎて秋が来て、冬が訪れまた春が来て。 部屋の中にはわたし以外誰もいなくなり(よくある展開だ)カーテンは閉めきられたまま、わたしの視界は紗をかけたようにすっかり淡く薄暗くなった。
砂のような土に埋もれながら、種はある日、とつぜん芽を出した。その頃には私もいったいここに何を埋めたのか、それすら忘れかけていた。ただ毎日、ぼたぼたと水をかけ続けていた。 部屋の中にはずっと、濡れた土の匂いばかりが充満していたのだ。
きょとんとした顔の緑に、わたしは慎重に水をやるようになった。朝起きたらコップに一杯、暑い日にはもう一杯。もとから丈夫な性質なのだろう、芽はどんどん大きくなった。けれど伸びてゆけばそれは小さくてもやはり、ひとつの木なのだった。
窓辺に置かれた鉢植えは昼間、わたしの上に小さな木漏れ日を落とす。つやつやとした、まだ数枚しかない葉の緑はとてもかわいらしい。

種はどんな種でも種だから、埋めたら必ず芽が出るとわたしは言ったのだけれど、 ほんとうのことを言えばわたしだってそんなの信じてはいなかった。 枇杷の実がなるには桃よりも、もっとずっと時間がかかるらしい。
一緒に寝転んだあの子達に、わたしが枇杷を渡せる日は来ないだろう。けれどまだ実を持たぬ小さな枇杷の木は木の匂いだけを発してまっすぐに伸びていくだろう。もう少ししたらこの窓を開けて、鉢から土に植えかえてもいい。
窓辺からわたしがいなくなっても、きっと枇杷は育つだろう。

でもわたしは、ただ透明な水が欲しかった。
踊るような光の向こう、濃い緑を透かして、遠くから誰かの笑い声が聞こえる。



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