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つきのこども/あぶく。

おはなしにならないことごと。

はじめてのおつかい・短歌の本を買ってみよう?(サルベージ・2)

断片

いわゆるところの入門書というやつについて

 

「名作ってなんですか?誰が決めるんですか?数字ですか?名作かどうかなんて何の客観的証拠もないじゃないですか!」

「そうよ。恋愛と同じ。何の客観的証拠もない。でも、それは存在する。」  (鴻上尚史 「恋愛戯曲」より)

 

 

学校で出会った先生がみんな分かりやすい授業をしてくれて性格も優しい親しみやすい先生だったかと聞かれれば、そんなことはない、と大抵の人が答えると思います。性格は優しいけれど授業はちんぷんかんぷんだった先生もいれば、授業は分かりやすいけどちょっと怖い雰囲気の先生もいたり。生徒によっても好きな先生は違います。

好きな短歌や好きな歌人を見付けることより、自分にぴったりの短歌の入門書を見付けることの方が難しい気がするのは、自分に合う先生を見付けるのは難しい、ということなのだと思います。

そもそも短歌の本を読んだら短歌が上手くなるのか、わたしにはよくわかりません。ちなみにこの記事の作者は小説も書きますが、小説の書き方に関する本やライフハックを読んで小説が上手くなった記憶も特にありません。

独断と偏見を承知で言えば、短歌の入門書と呼ばれる本の内容は、主に以下の二つになるのではないか、と思っています。

 

・生徒の短歌を講評・添削(「良い短歌」に書き換え)し、技術を伝えようとするもの。

・既にある「良い短歌」を取り上げ、その歌の何が「良い」のか、理論的に解説する形で技術を伝えようとするもの。

(・短歌に関する知識。歴史や用語解説など)

(・短歌をつくるにあたっての創作・人生哲学)

 

逆に言えば多分、これしかない。

つまり、短歌の入門本で教えてくれるのはより正確に言えば「推敲の仕方(の、一部)」なのではないでしょうか。あなたが短歌で何を詠みたいか、何が詠めるか。いまどういう段階にいて、何を詠むのに向いていて、そのためにどんな歌を「良い短歌」と考えればよいか……そういったことについて、短歌の入門本は何も教えてくれません。

(更にいえばこの推敲の技術は、例えば二次創作小説を書いているなど、一部の人は教えられる前から無意識に会得している場合があります)

そう、どんな歌を「良い短歌」と考えればよいか。

実は「短歌」、「良い短歌」とは何なのか、という「短歌観」は人によってかなり異なります。だからこそ、難しい。「短歌観」が違えば入門本に書くべき(と考える)内容も当然変わってくるからです。

同じAというキャラクターを二次創作で描く時、A×B、A×C、D×A、どのカップリング設定で書かれるかによってキャラクターの解釈は大きく異なってくると思います。性格のどの側面が強調されるかはもちろん時に体格まで変わり、それに応じて同人誌の執筆層・購買層も変わってくるというのはよくあることです。これと同様に、「短歌」や「良い短歌」もその解釈によって、それを作るために何が必要かについての考えが変わってくるのではないか、とわたしは思っています。

本来、作品の制作技術と「良い作品とは何か」という哲学は別物です。しかし短歌においてはこのあたり、かなり一体化して語られることが多い気がしています。(個人の偏見です)

一体「短歌」って、「良い短歌」って何なんだ。

二次創作同人誌ならまずは原作を読め話はそこからだと言いたいところですが(ただしそれで解決するとは限らない)、残念ながら概念である「短歌」「良い短歌」の原作はどこにもありません。あるのはこういうものが「短歌」であるはずだ、「良い短歌」であるはずだ、という解釈(信念)のもとに作られた作品や評論、入門本だけです。

かくして「俺の考えた最強の推し」短歌についての本がたくさん作られ、カップリング表記も注意書きもないまま短歌の本として本屋の詩歌棚にいっしょくたに並べられ、短歌のTLや雑誌では「俺の『短歌』はそんなこと言わない」と識者が激論を交わしているのが現状です。(繰り返しますが全て個人の偏見です)

 

何度でも繰り返しますが、何が「短歌」「良い短歌」なのかは人によって異なります。57577が定型とされていますがそれさえ「基本的には」であり、字余りや字足らずをした短歌が即座によくない短歌となる訳ではない、ようです。何度指折り数えても31文字以上ある、どこで区切って呼んでいいかわからない短歌を取り上げ素晴らしいとほめる人がいる一方で、57577は死守すべきだから字余り字足らずがあるなら必ず推敲するようにと言う人もいます。そういう本が、一緒に並んでいる。

本屋さんにある短歌の入門本は全て、誰かにとっての「俺の考える最強の推し」短歌を作るための本です。それは「私の推し」がどんなものか、それを作るためにはどうすればいいかを考えるための参考資料であり、それ以上でもそれ以下でもないのだと思います。だってA×Bが描きたいのにE×Aを描くための技術を教えられても、何も役に立たないとまでは言わないけれど、でも結構困る。

 

……前置きがとても長くなりました。

ここでは4冊、短歌の入門本を紹介します。本と同時に執筆者である歌人の短歌も紹介しています(()内は掲載歌集名)。ある人が何が「短歌」であり「良い短歌」と考えるかは、その人がどんな短歌を詠みたいと思っているか、詠んだかということと、恐らく繋がっているだろうと思うからです。

手に取った本に書いてあることが自分の『推し』には合わないなと感じたらそっ閉じして次へ行きましょう。それだけのことです。

  

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地ビールの泡(バブル)やさしき秋の夜ひゃくねんたったらだあれもいない(チョコレート革命) 

ひかれあうことと結ばれあうことは違う二人に降る天気あめ(かぜのてのひら) 

投稿歌を添削する形式で短歌のテクニックを紹介する本。アドバイスが具体的でこの中から1個くらいなら普段から意識できるかな、というものが多いのと、短歌に限らず、伝わる文章、イメージの広がる文章ってなんだろうという観点からも示唆が多いと思うので、短歌を詠まない小説書きさんにもお勧めできる本です。

個人的には初読時、P25に書いてある推敲方法の大胆さに結構びっくりしました。機会があれば見てみてください。

 

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好きだった雨、雨だったあのころの日々、あのころの日々だった君(ますの。)

葬式は生きるわれらのためにある 君を片付け生きていくため(ますの。)

著者のキャラに結構癖があるのでその点好みがかなり分かれそうですが(ご本人が教祖だと言っているくらいなので。とはいえ「短歌観」を宗教と言い切るのはある意味非常に誠実だと思います)、文字数の数え方といった初歩からきちんと説明している入門本は実は結構珍しい、と思います。

こちらも投稿歌を添削する形式ですが、他人に刺さる言葉を作るのは「感性」じゃない、とにかく考えろもっと考えろ、とはっきり言う本だなと思います。同じ内容の歌を5通り考えろという項があるのですが、実際5通り並んで見せられるとすごく説得力があります。同作者の「一人で始める短歌入門」の方がやさしい、みたいです。

なお、宇都宮敦さんの書かれた「その先の『かんたん短歌』」(BLOG寄稿記事)は、「俺の考えた最強の推し」短歌をどうやってひとりで作っていけるのか、についての話だと思っています。

ちなみに枡野氏は「短歌という爆弾」(穂村弘)文庫版の後書きを書いています。この本がいかに短歌初心者向けの本では「ない」かということを説明していて面白かったです。

 

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俵万智が短歌の初心者・一青窈にマンツーマンで短歌を教える、という本。メールによる往復書簡の形式で進みます。

時にツアー先や旅行先から送られて来る一青窈さんのメールには作者本人による「ハナミズキ」の歌詞の解説があったり、旅先の風景について語られたり。本の最後にはみんなで吟行してみたり、短歌と合わせてエッセイを読むように楽しめます。短歌というより一青窈さんが面白い本です。

余談ですが、旧かなの記載は三省堂の国語辞典に書いてある、というのをわたしはこの本で知りました。往復書簡最初の、俵さんが一青窈さんに説明する「短歌」の説明がシンプルなんですが妙に好きです。

 

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きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり(メビウスの地平)

背を抱けば四肢かろうじて耐えているなだれおつるを紅葉と呼べり(黄金分割)

歌人の歌や新聞歌壇の歌を引用しつつ、筆者の思う「いい歌」とはどんな歌なのか、どんなテクニックを使っているものなのかについて解説しています。結構分厚い本なのですが、もとは雑誌連載なので小パートごとにまとめられており、見かけより読みやすいです。

こちらは初心者というより、ある程度短歌を詠みなれた人が読むのにいい本なのかな、と思います。本文中でくりかえされる「読者を信頼して作品を差し出しなさい」というメッセージに、読んだ時にとてもほっとした記憶があります。一度絶版となりましたが、最近新版が出ました(そして更に分厚くなった)。