つきのこども/あぶく。

おはなしにならないことごと。

はじめてのおつかい・短歌の本を買ってみよう?(サルベージ・3)

短歌を知るための本について

 

殿下、何をお読みで?

言葉、言葉、言葉。(「ハムレット」W.シェイクスピア、松岡和子訳)

 

 

Twitterで流れてくる気になった短歌をお気に入りに入れながら、こういうのを集めた本がどこかにないのかな、とずっと思っていました。紙なら他のお気に入り記事と混ざらないし、ログが流れることもないからです。

好きな歌人がはっきりしているならその歌人の歌集を買えばいいじゃないかということになりますが(とはいえ短歌の場合、そう思っても欲しい歌集が絶版で入手できないことが結構あります)、そもそもあまり歌人を知らないし、いろんな人の短歌を幅広に読んでみたいという場合はアンソロジーなどを読むことになります。

短歌の紹介をする本は一首ずつ鑑賞し解説する形式か、同じ作者の歌を解説抜きでずらりと並べる形式(アンソロジー)、大抵はそのどちらかになります。とりあえずここでは5冊あげてみます。

 

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タイトル通り、俵万智が明治から現代までの恋の歌百首を、エッセイを交えつつ解説する本。学生時代に国語の先生に勧められたという話も結構よく聞く本で、図書館保有率も高い印象です。

同じ作者の「三十一文字のパレット」(中公文庫)は恋の歌に限らず、共通テーマを持つ短歌を三首ずつ、エッセイと共に紹介するという形式になっています。

 

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様々な歌人の短歌から着想を得て書かれた掌編の本。見開き2ページに短歌1首とそこから生まれた掌編が一つずつ掲載されています。ホラーというより、怪奇・幻想といった雰囲気。小説ならレイ・ブラッドベリ、漫画なら今市子波津彬子あたりがお好きな方なら気に入るんじゃないかなと思います。取り上げている短歌が全体的に最近のものが多く(2000年代に出版された歌集からの引用も多くあります)、その一方で栗本薫柳田國男芥川龍之介など、ちょっと意外な人の短歌を出してくるのも面白いです。

なお、作者の佐藤弓生は「怪談短歌入門 怖いお話、うたいましょう」では東直子、石川美南とともに公募された怪談短歌の選評をしつつ、短歌のテクニックの紹介をしています。

 

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明治から現代の歌人の名歌100首を選出したもの。歌人1人につき1首とその解説、同じ作者の秀歌2首(解説なし)を上げています。国語要覧に載ってそうな「短歌の歴史において」有名な歌人、有名な短歌を知るのにいい本です。合わせて収録された選の座談会では選出作業の裏話や紹介した歌人のエピソードについて、本当はこの歌も入れたかった、いやこっちも好きだったなどと楽しそうに語られていて、この人たち本当に短歌好きだなーと読んでて面白いです。明治から現代までの短歌の変遷に関する話と合わせて読んでいると短歌の変遷、さらにはその背後にある日本の歴史のようなものがうっすら見えてくる気がします。

なお選者の一人である永田和弘の単著「近代秀歌」「現代秀歌」(岩波新書)もそれぞれ近代の短歌、現代の短歌100首を選出し、解説した本です。

 

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昭和二十年代から六十年代までの歌人101人の代表歌30首をずらりと解説なしで掲載しています。内容的にもサイズ的にも、今回紹介する中で一番「国語要覧ぽい」本です。

このタイプの本を買ったときは最初から一首ずつ真面目に読むことは目指さず、名前に見覚えのある歌人だけ読んでみたり、ぱらぱらと捲って目についた短歌の作者のページだけ拾うような読み方をするのがいいかな、と思います。

ここは個人差があると思いますが、わたし自身は短歌が余りスペースをゆったり空けず並んでいるのを読むのはちょっと骨が折れるタイプで、調子が悪いとまったく読めなくなります。その意味でもこのタイプの本は一番最初ではなく、短歌の本に慣れて知っている歌人の名前が増えた頃に購入を検討してみてもいいんじゃないかな、と思います。

  

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ショッキングピンクの表紙が印象的な、1970年以降に生まれた歌人のアンソロジー。各歌人の作風等の概説(見開き2ページ)の後に実際の短歌56首(1頁14首。ただし一部の歌人をのぞく)という構成になっています。歌会って何、口語と文語って何だっけ、そもそも歌集ってどこで買えるのといった、短歌をやっている人達の間では当たり前の前提になっている、でも誰も教えてくれないしよく分からないことについての説明コラムがあるのも嬉しいです。後述しますが、かなり画期的な本だと思います。

「現代短歌の鑑賞101」同様、ずらりと短歌が並んでいる本なので最初は拾い読み推奨、なのですが、Twitterが切っ掛けで短歌に興味を持った人にはぜひお勧めしたい本です。(実はこの本だけ1500円をかなり超えてるのですが、敢えて載せています)

 

さて、5冊あげてみましたが、「あなたと読む恋の歌百首」「うたう百物語Strange Short Songs」のようにエッセイ込みだったり別途テーマが設定されたりしていない本については、説明文冒頭で収録されている短歌の年代を記載していたのにお気づきでしょうか。本屋さんで売っている短歌の紹介本は明治、あるいは昭和初期頃の歌から順番に収録を始めていることが多いようです。

こうした本は各作品を読みつつ、短歌の歴史を追えるようになっていますが、twitterで流れている短歌と本屋さんのこうした本で紹介されている短歌にはかなりの差があると思われます。

端的に言えば、明治や昭和初期の短歌は恐らくtwitterで流れることは少ないと思います。そしてむしろ、ここ最近の短歌の方が多く流れている。

 

Twitterで短歌に触れたばかりの頃、わたしが好きだなと思った歌人は笹井宏之や杉崎恒夫、佐藤弓生加藤千恵などでした。

なので本屋さんで短歌のアンソロジーを探すとき、わたしが思っていたのは彼らのような歌がたくさん載っている(できればコンパクトな)本はないかな、ということでした。でも、そう思って書店を探しても、わたしのイメージしているような本はなかなか見つかりませんでした。

ここで各歌人が最初に出した歌集の刊行年を確認してみます。

 

 笹井宏之:「ひとさらい」2008年

 杉崎恒夫:「食卓の音楽」1984

 佐藤弓生:「世界が海におおわれるまで」2001年

 加藤千恵:「ハッピーアイスクリーム」2001年

 

杉崎恒夫の第一歌集はぎりぎり昭和に入っていますが、それ以外はすべて刊行されてから十年前後、二十年にはまだ届いていないといったところです。そして書店に置かれた短歌のアンソロジーの大半は、この時代を射程距離に入れていません。桜前線開架宣言が画期的と書いた理由はまさにここで、この本は従来のアンソロジーが射程距離に入れていなかった(しかしtwitterでは人気のあることが多い)歌人を中心にアンソロジーを組んでいます。

その他、最近出た安藤福さんによるイラストと短歌のコラボ作品集、「食器と食パンとペン」は掲載短歌の年代を統一している訳ではありませんが、もともとがtwitterにポストしていた短歌とのコラボイラストから産まれた本なので、その意味ではtwitterで好きになった短歌を読む本としてニーズを満たしていると言えるでしょう。

 

ちなみに2013年にスタートした書肆侃侃房 の「新鋭短歌」シリーズも「桜前線~」で紹介されているような若い歌人を中心とした個人歌集のシリーズです。また、これより少し上の世代の歌人のシリーズが「現代歌人シリーズ」になります。先に上げた笹井宏之は「新鋭短歌」シリーズ、佐藤弓生は「現代歌人シリーズ」でそれぞれ歌集が出ています。Twitterで見かける・人気のある短歌が本になりだしたのは、本当にここ数年だ、といえると思います。

 

一方、インターネットにはTwitterbot以外にも、短歌を紹介する場所がたくさんあります。

今日の出版業界の状況を考えると短歌のアンソロジーや歌集はばんばん買ったほうがいいのかもしれませんが、短歌の場合、歌集を買いたくても買えない、絶版になっていたということもよくあり、インターネットが無ければ知ることのなかった歌人、というのは今も多くいるように思います。

(余談ですが短歌をやっている人には好きな短歌をノートに書き写している人が結構います。知った時にはなんてまめな人達なんだろうと思いましたが、これも買えない歌集が多く存在するのが一因ではないかという気がしています)

ここでは2つのサイトを紹介します。

 

[現代歌人ファイル]記事一覧 - トナカイ語研究日誌

桜前線開架宣言」の編者、山田航のblog。カテゴリ「現代歌人ファイル」の記事で現代歌人を紹介しています。歌の引用も多く(歌集の中でもいい歌ばかりセレクトしている、という感想を聞いたことがあります)、各歌人の作風が掴みやすいです。

 

橄欖追放 – 東郷雄二のウェブサイト

フランス文学研究者・東郷雄二が運営するホームページの短歌コーナー。歌集を一冊取り上げ、評論する形をとっています。各記事間でこまめにリンクが貼ってあるのが便利。こちらのサイトでハルシオンがモチーフになった短歌についての記事を見付けたときにはひとりで大騒ぎした記憶があります(中二病的な意味で。「ハルシオン 短歌」で検索すると出ます)。

 

どちらも評論系のサイトなので歌一首への解説は少なめ、また文章が少々固めですが、短歌が沢山引用されているので好きな短歌を探すのには良いサイトです。

その他、紙媒体では同人誌もあります。文学フリマは短詩系がかなり強いイベントで参加サークルも多く、twitterでよく宣伝がされています。最近は開催地もかなり増え、イベント後には自家通販もあるので機会があればチェックしてみてください。

 

ちなみに私が最初、短歌が上手くなるために買おうと思ったのは短歌のアンソロジーでした。理由は二つ。一つは、とりあえず良いとされている作品を大量に読めば何かしら自分の詠む短歌にも良い効果があるんじゃないか、そう考えたからです。

骨董の鑑定人は修行の際、知識を入れるよりも先にとにかく良いものをひたすら見続けるといいます。文章やイラストなら日常生活で「プロの作品」を山ほど見ますが、短歌はそうではない。ならまずは大量摂取すればいいだろうと、文語文法も短歌の意味も歴史もろくに咀嚼しないまま、当時のわたしは「現代の短歌」を頭からひたすら読み続けたのでした。(この記事の作者は社畜のため、趣味の創作も社畜精神で乗り切ろうとする癖があります)

正直、あまりいい方法ではない気がしますし、それでどの程度効果があったかは分かりませんが、食わず嫌いだった文語短歌にも好きな短歌や歌人がいることに気付けたのは個人的には良かったなと思っています。

もう一つは、「良い短歌」が分からないのをどうにかできないかと思ったからです。

短歌を詠む人をtwitterでたくさんフォローしていた頃、みんながいいとtweetする歌の良さがさっぱり分からなくて一人困惑することが結構ありました(今もあります)。SNSではありがちな話かもしれませんが、みんなが同じことを言っていて、そうは思わない自分の方がおかしいのだろうかと不安になってしまったのです。みんなが言っている「良さ」とやらをどうやったらわたしは分かるんだろう、というのは、短歌の勉強をした方が良いのかなあと思った理由の一つでもありました。

で、わかったか、と言われると、今でもよくわかりません。

とはいえどうやら、「良い短歌」の統一基準というのは無いようだぞ、と今は思っています。原作準拠のキャラクターAも好きだけど学パロのAも観葉少女パロのAも女体化のAも好きだしそれぞれの良さがあるというように、短歌における「良さ」の方向性はひとつでなくても構わないし、その方が楽しい。ただ「短歌」には学パロタグもマフィアパロタグも無くて「短歌」のタグひとつしかないから、傍から見ると同じものについて同じ基準を持って同じように語っているように見えて分かりにくいのではないか、そんな風に思っています。

(もしかすると慣れている人には透明なタグが見えるのかもしれませんが、わたしには見えないので分かりません)

誰かの解説を聞いてなるほどその解釈ならこの歌はわたしが思っていた以上に素敵だなと思えたら、そうして好きなものが増えていったら、それはとても素敵なことです。

でも極端な話、ある短歌の良さを理屈っぽく語って誰かを説得するような「ゲーム」に自ら参加したいと思わない限りは、そういうやり方で何かを誰かに伝えたいと思わない限りは、ただただ自分の好きな歌を好きだと思って「俺の考えた最強の推し」の姿を描いていければ、本当はそれだけで十分なのかもしれないと思います。花魁パロにおけるキャラクターAだけはどうしても良さが分からない、あまり好きじゃないといったことは普通にあると思うし、その時に、花魁パロのAも好きにならなければAというキャラを愛していることにはならない、ということは無いと思います。多分。

前の記事でも書いたように、何が「短歌」「良い短歌」なのかは人によって異なります。

一番大事なのは他の人が何を言っているかに関わらず自分の「推し」を大事に形にしてあげること……と書くと、あまりにも当たり前の結論なのですが。

 

20181203追記:

この記事を書いた後に刊行されたアンソロジー短歌タイムカプセル」は戦後の歌人(キャッチコピーでは葛原妙子・塚本邦雄・岡井隆から吉田隼人・大森静佳まで、となっています)の作品が収録されていますが、掲載順がこれまでのような時代順でなく、あいうえお順であることで話題になりました。収録されている、一人当たりの歌人の短歌は「桜前線開架宣言」より少なめですが、これまであまりアンソロジーなどでは見かけなかった歌人が収録されていたり、面白いラインナップになっています。