つきのこども/あぶく。

おはなしにならないことごと。

短歌解凍掌編(再録3)

 焼き場からは海が見えた。

 紙一枚の通達で、書類はすべて燃やすことになった。保存期間は問わない。全ては人目につかぬよう進めなければならないので、明かりを持つことは許されなかった。つま先が何かにぶつかり、ぐらりと体が傾ぐ。

「お、大丈夫か」

 瞬くと上司の影が驚くほど近くにあって驚いた。まあ大変だよな、ぜんぶ終わったら皆で飲みに行こう。声に無言で頷くと、どうやら相手はほっとしたようだった。きっといつも通り、こけた頬をくしゃりと歪めているのだろう。それに笑い返すことができなくなったのはいつからだったか。

 だけど俺たちはずっと、国のために働いていたんじゃなかったのか。

 そう叫んでいた同僚は、先週から職場に来ていない。そのことについて誰も何も言わぬまま、今日も全員で大量の紙を焼き場に運び続けている。

 これは何だ、と思う。気づいたら自分たちは皆この刑場にいて、もう決して逃れられないことだけが分かっていた。永遠に。自分も。

 紙束を落とし、マッチを擦る。一瞬の火花、見えたのは遠い島影でも水平線でもなく、ただただ霧の色ばかりだった。

 

 

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや/ 寺山修司

 

 

摩擦音と同時に火花が散り、マッチに火がつく。一瞬大きく燃えあがった火に照らされ浮かび上がったのは遠い島影でも水平線でもなく、ただただ深い霧の色だった。何も見えない中でひとつの問だけが、火花のようにぽつりと現れ、消える。

 身捨つるほどの祖国はありや。

その問いは、祖国には身を捨てるほどの価値があるのだという思想が目の前に厳然と存在していること、しかしその考えを自分は信じきれていないことを暗示する反語として響く。価値はある、あってほしい、そう思ったこともかつてはあったのかも知れない。だがそれは、……無いのではないか?

祖国のために身を捨てる、とは、しかしそもそもどのような行為なのだろう。兵士として戦地へ赴き「敵」の兵士を殺すこと。革命に参加し国家体制を変えようとすること。悪政を暴き、真実を伝えようとすること。議会に立ち、論じ訴えること。望まない結婚を受け入れることや自らの財産を差し出すことも、時と場所によってはそれに値するかもしれない。暗殺やテロ、ヘイトスピーチや独裁、暴政に従い続けることも、当事者からすれば祖国のために身を捨てる行為なのかもしれない。何しろ時に祖国とは郷土のみでなく、時の政府、統治システムを意味するときもあるのだから。

祖国、という言葉には、国家や国といった言葉に比べて良くも悪くも感傷がつきまとう。ただの国境線やシステムではない、そこには人間の記憶の、湿った生々しい気配がある。わたしの所属する場所としての祖国。わたしだけではない、わたしの大切な人たちが所属する、所属していた場所としての祖国。わたし達の、祖国。そのために身を捨てる行為の背景には常に集団としての「わたし達」が現れ、それは個人としての「わたし」の存在をかき消そうとする。軍隊。革命組織。扇動や演説、動員に供出。わたし一人だけでなく「わたし達」みんなのために。本来ならばもっと別の名で呼ぶべきおぞましい行為を「わたし達」のため身を捨てる行為なのだと思いこませていた、そんなことは過去にいくらでもあった。

祖国のために自らを投げ出す行為が信じられないのなら、自分は何のためになら己を投げ出すことができるのだろう。いやそもそも、何かのために己の身を投げ出すという行為が正しいことなどあるのだろうか。

何かのために。……何のために、生きるのだろう?

生きる意味について考えるとき、その人はたったひとりになる。自分と同じ場所に所属し、同じ時を過ごした人たちさえ、自分の隣にはいてくれない。いやむしろ正面から、その人たちは自分に問いかけてくるだろう。自分同様に祖国のため殉じる名もなき同朋ではない、見知らぬひとりの他者として。それならお前は、何のために?

国のために、お前と共に行けるならそれだけで。

何も疑わず、そう言い切れた方が良かったのだろうか。けれど既に疑念は生まれてしまったのだ。

 

どんな海の向こうにも、いつか必ず別の陸地が現れる。けれど海は今、深い霧に閉ざされている。

問いかけに答は出ないまま、視界はまだ晴れない。

 

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2バージョン書いていたので歌を挟んで両方掲載してみました。