つきのこども/あぶく。

おはなしにならないことごと。

年越しバトン'15

「痛覚」でやっている年越しバトン。例年参加させて頂いております。
昨年に引き続き、今年も少し早めに書いてしまおうと思います。

 


・2015年のこの一冊! という本を教えて下さい。(2015年発行でなくとも構いません。コミック可)

  美術手帖 2015年9月号(特集 絵描きと戦争)

    美術手帖 2015年 09月号 | 本 | Amazon.co.jp

 

社会や身の回りで何か大きなことが起きたとき、これは私を助ける手立てになるはずだと直感的に確信してひっつかむ本というのが時折あって、例えば2年前にはそんな理由で「イェルサレムのアイヒマン」を手に取っているのですが、今年はこれだったな、と思います。
表紙イラストを描いている今日マチ子椹木野衣の対談から始まり、菊畑茂久馬のインタビュー、東京国立近代美術館戦争画展の解説、戦争画家達の対談再録など、非常に充実した内容でした。雑誌の特集としてもこの号は長く語り継がれるのではないでしょうか。

 
次点で上げたかったのは「紙の動物園」(ケン・リュウ)「月に吠えらんねえ 3巻」(清家雪子)「モーブ色のあめふる」(佐藤弓生)でした。
SF読まなきゃとずっと思ってたんですが読書メーターの記録を見たら小説はSFしか読んでない、というかそもそも小説あまり読んでませんでした……。

ちなみに昨年は「はじまりのはる」 (瑞野洋子)。
なんというかここ数年、いわゆる「荒唐無稽なフィクション」を上げていない気がします。
(SFを読まなきゃと思っていたのも根っこは同じような)

 

・2015年のこの一曲! という曲を教えて下さい。(2015年リリースでなくとも構いません)

星野源地獄でなぜ悪い

www.youtube.com


嘘で出来た世界が 目の前を染めて広がる
ただ地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ
作り物だ世界は 目の前を染めて広がる
動けない場所から君を 同じ地獄で待つ
同じ地獄で待つ

 

某カラオケで知った歌なんですが、いい歌詞だなーと思いつつ、未だにCD買えてません。


昨年は「WOODEN DOLL」(米津玄師)。

 

・2015年一番注目していた人を教えて下さい。

(名前) 特になし。

 

・2015年の重大ニュースを3つ選んでください。

1安全保障関連法案可決
ソーシャルゲーム刀剣乱舞関係がなんかもうまじで色々ありすぎた
3web文芸誌「片隅」での短歌・エッセイの連載


ちょうど昨日ニュースになったの慰安婦問題について、韓国との協議合意についても上げるべきなのでしょうが、これの余波は来年以降に来そうな気もしています。私事では親族の結婚なんかもあったなあと。
連載については良い経験をさせて頂いてるなあと思います。ありがたいことです。
(といいつつ、今月中の原稿がまだだったりしますが)


 

・2015年の流行語を勝手に選んでみてください

ポリティカル・コレクトネス

 

歴史修正主義」「加担」とも悩みましたが、こちらで。
 

・2015年を漢字一文字で表してみてください


「斬」

絶と悩みました。
ちなみに去年は「空」一昨年は「圧」としていました。
 

・あなたが2015年一番嬉しかったことは何ですか?

 ネットプリント企画を不詳主催したのですが、いろんな方とやり取りで来て楽しかったです。
 我ながらなかなか良いものが作れたなあと思います。うむ。

 
・あなたが2015年一番悲しかったことは何ですか?

 自分の創作を信じられなくなったこと。これは今も継続中です。
 理性的な対話が大事だと言いながらそれを実践できてはいないなあと改めて痛感したこと。
 悲しい、に分類されるのか分かりませんが異動したら前任者が各種地雷を積み上げたままにしていたこと。


・あなたが2015年ハマったもの(こと)を教えてください。 

 着物。

 実際には浴衣はそれなりに着れるようになったものの着物はまだまだ、なのですが。
 あと胡粉ネイル。マニキュアって綺麗に濡れないのと落とすのが面倒で苦手だったんですが、これは楽なので良いです。
 あ、刀剣短歌も入るでしょうか。勉強もかねてたのと各種イベントタグに乗っかってたのもあって相当書いてます。100首はゆうに越えてる筈。

 
・あなたにとって2015年はどんな年でしたか?

 空回りしてたな、と去年書いてたんですが今年も空回りしていたような。
 後から見たとき色々布石の年になってたらいいな、と思います。
 とりあえず異動願いを出しました。

 あと、美術展や舞台をよく観に行った年だったと思います。京都の琳派展、東京ステーションギャラリーの陶器の展示は良かったです。

 
・2015年にやり残してしまったなあということはありますか?

 本を読んでないなあと。
 原稿と年賀状が終わってないのは去年と同じです。
 異動のせいもあって被災地ボランティアにいけなかった。。。
 

・2016年の目標を教えてください。

 人と会う。交流する。なんか占い師さんにそういう年だと言われたので。
 今年は去年に比べて歌会とかあまり行けなかったのですが、オフラインで色々会う機会を増やせたらなと思います。まずは新年歌会から。
 

・2016年のヒットアイテムを予想してください!(グッズ、流行語、タレント、ファッション等)

 和物と神社ブームは続きそうですね。
 古事記関係は既に本が出てますが、もう少し何か出てくるんじゃないかと思っています。

今年作ったもの(2015)

まだもう少し猶予がありますが、取り急ぎ。

2015年の活動記録です。

  

小説

超短編1本(短歌の超短編

 

短歌

web文芸誌「片隅」コラボ連載「仮想記憶」(毎月掲載、5首連作×12カ月)

m.kaji-ka.jp

百をめぐる短歌(候補作)

うたらば・ブログパーツ短歌×2、うたらばvol.13

うたつかい 春号、夏号 、秋号(5首連作)

(二次創作短歌)

刀剣伝授(ネットプリントアンソロ企画主催+5首連作)

今夜わたしの部屋に来なさい(付句30首連作)

桜下絵歌巻玉鋼(20首連作・epub

 

評論・散文

たとえば、「アイ」について [つきのこども/あぶく。] より | BL短歌 共有結晶BL短歌 共有結晶

(当blog→共有結晶サイトに転載)

遠い水、神義論と対峙する「私」ーー服部真里子『行け広野へと』について - つきのこども/あぶく。

web文芸誌「片隅」エッセイ連載「鏡の箱に手を入れる」(隔月掲載)

m.kaji-ka.jp

 

二次創作短歌はどう整理しようか去年も迷ったところで、今年は紙媒体が少ないのでさらに迷ったのですが、作品のクオリティを意識したと言っていいのはこのあたりかな、というところで3点あげました。半分以上は短歌というよりは企画としてのカウントです。(とはいえepubはかなり突貫工事だった感が……)

小説が少なめと去年も書いていたのですが今年は更に減って頭を抱えています。その一方でエッセイや評論は書いているので実は散文としてはそれなりの量を書いていたのか、と自分でもちょっとびっくりしました。あと短歌も思ってたより書いてたんだな、と。webの活動だけだとどうも実感が持てないですね……。

題詠blogを完走できなかったのが我ながら歯がゆいです。

なお、投稿作の落選したものは含んでいません。

 

来年は小説を書きたいです。あと動画と音声編集。短歌はもうちょっと方向性を固めたいんですが基盤をどうするかが目の前の課題です。

 

以下は去年のメモから。

読み返しながらこれは今も同じだなと思いつつ、「共有」の難しさは今年はよりシリアスに感じていた気がします。

++++

読書記録を読み返していて気づきましたが、恐らく今年の前半(というより多分2013年から)、私の興味関心は物語を物語る、「かたる」ことについてでした。

私は河合隼雄などの言うところの「物語の力」というのをとても信じているのですが、ここ数年で思ったのは、個人が個人自身を救うために産んだその人の、大げさに言えば人生についての「物語」が、他者にも共有可能な形で提供されることは実は想像以上にまれなことであり、むしろそのままでは共有を阻害する場合も結構多いのではないかということでした(という説明で十分なのかわかりませんが)。

それは阻害するような物語を産んだ個人が悪いという話ではない。世の中の人すべてが創作者ではなく物語ることについて意識的であるとは限らず、加えて人間が常に意味を求め、御伽噺にすら教訓を求める性質を持っているならば、それは不可避の傾向と言えます。

今年読んだ、ジョナサン・サフラン・フォアやリチャード・パワーズは私にとってそうしたことに意識的に見える人達、でした。いとうせいこうメタフィクション、パラフィクションも私の中でそうしたテーマで繋がっています。すなわち共有は、どのように語ればなされるのかということ。

私はそれを小説・短歌共通のテーマとして考えていたのですが、このテーマはある意味では「物語」の否定でもあり、一方で短歌はそもそも「物語」についての感覚がどうやら私と異なる方が多いようで(主語が大きいですがそこはご容赦ください)、ひとり勝手に疲弊していたのが多分今年の後半でした。

ちなみに上述の共有について、答は今でも出ていません。そもそも「物語」を否定するというのが傲慢なのかもしれない。

ただこの2年ほど、そのあたりについては結構考えたこと、はここにメモしておきます。

とあるキャプション (短歌の超短編)

 さて、次にご覧頂くのはこちら、初代館長の記憶です。ロビー中央に立つ等身大ホログラフはご覧になられましたか? 髭を長く生やした、ええあれがそうです。
 死者の記憶の保存技術を開発した初代館長Tは、自らにはその技術を用いず遺体を完全焼却するよう、ストリーミング3時間分の遺書を遺しました。が、当時彼の部下であった私の上司はこれに従うことをしませんでした。理由ですか? いえ、聞いたことはありませんね。ともあれ、上司の奮闘にもかかわらず、初代館長から抽出できた記憶は結局この鍵一つだけでした。鍵に合う錠前とその中身については現在も調査中です。
 噂は、幾つもあります。自らの記憶を誰にも見せぬよう、新技術を開発した彼はこの鍵に合う錠前の掛かった箱の中にそれを閉じ込めたのだという者。愛する妻への言葉を閉じ込めたのだという者。世界への絶望を閉じ込めたのだという者。本当はこの世界こそが、彼の遺した記憶なのだという者。いろいろです。

 ……私ですか? 私としては、何とも。
 我々の創造主が滅びて既に百年、けれど当館に収められた彼らの記憶は私の目には全て、美しいフラクタルとして映るばかりです。近付いて、じっくりご覧ください。

 

 

  美術館館長Tが遺したる小さな鍵についての話  / 石川美南

 

***

 

小野塚力賞でした。ありがとうございました。

星新一の「鍵」という話を思い出したといわれ、調べてみてなるほど、となりました。

ちなみに。お題として出た短歌は5つあったのですが、この短歌をお題にしたお話が一番多かったそうです。

山羊の木さんの活版トークも面白かったです。

 

賞を取った方以外の作品はいずれフリーペーパーに掲載されるのだと思いますが、それ以外だと荒悠平さんの「同窓会入院」、はやみかつとしさんの「Table of contents」が個人的には好みでした。

月下桜さんのお話が複数の短歌のお話を書きつつ、それぞれ内容がリンクしているぽいのも面白かったです。

遠い水、神義論と対峙する「私」ーー服部真里子『行け広野へと』について

 

わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 (マタイ福音書10章34節)

 

○経緯 

 2015年9月20日に開催された歌集『行け広野へと』(服部真里子)批評会では後半の会場発言の時間、この歌集について筆者もコメントさせて頂いた。

 が、その場ではコンパクトに纏めきれておらずエビデンスも不足していた。また、当日の発言を聞いてこの歌集について改めて考えたこともあることから、この歌集について自分がどのようなことを考えたのか、文章にまとめてみたい。

  

○サマリー

『行け広野へと』批評会でパネリストの水原紫苑氏はこの歌集を「女であることの不如意がない」「湿り気がない」と評した。この「不如意の無さ」「湿り気の無さ」は、この歌集の世界で水のモチーフが遠く不穏な存在として描かれていること、また「神と神の前のたった一人の私」というキリスト教一神教)的な関係性を基盤にしていることによるのではないか。

 

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サヴィル・ロウにて(キングスマン・二次創作俳句連作)

 

サヴィル・ロウにて

 

秋の虹眼鏡をかけて人と会う

幽霊と囲む円卓桐一葉

荻の声お前の父を知っている

スノッブと呼ばれて呼んで蛍病む

花桔梗「manners maketh man」と説き

涼しさや大きくなれぬパグといる

人類は致死性の熱遠花火

蟲送る血を見ることに慣れなくて

武器としてまっさきに取る秋日傘

秋鴉オーダースーツがよく似合う

鳳仙花はじけてPomp and Circumstance

無線越しに会話は続き星奔る

紅葉散る生体認証システムに

盆礼やこれが映画であったなら

一面に載ることはなし秋の影

 

※「Pomp and Circumstance」は「威風堂々」の原題

 

 

twitterの「#キングスマンサヴィル・ロウ吟行」(映画「キングスマン」の二次創作詩歌タグ)に投稿したもの+αでまとめたものです。短歌も何首作っていましたが俳句でまとめてみました。ちなみに季語は初秋が中心(のはず)です。

タグ発案の千波さん、ありがとうございました。