つきのこども/あぶく。

おはなしにならないことごと。

はじめてのおつかい・短歌の本を買ってみよう?(サルベージ・4(最終回))

短歌とのお付き合い、または倦怠期について

 

BL短歌は「五七五七七に萌えをぶっこむこと!」(共有結晶 創刊号「はじめに」より)

 

 

短歌を始めたばかりの頃は思い付いたネタを57577の中に収めるだけで精一杯でも、やがてこの世のすべてが57577に落とし込めるような、次から次に作品が出てくる……そんな状態になる人は多いようです。

ところがその後、もう少し上手くなりたいなあと本を読んでみたり、あるいはひたすら短歌を詠んでいく内に頭の中が言葉だらけになって、逆になんだか作りにくくなってきた……というケースも少なからずあるようです。と、他人事のように書きましたが、要するにわたしがそうでした。

また、作品がすぐに作れる調子の良い時、考えても考えても浮かばない調子の悪い時といった「波」も結構あるみたいです。この「調子の悪い時」について、「わたしと短歌が倦怠期」と言っていた人がいて、個人的に結構好きな言いまわしです。倦怠期なら仕方ない。本当は小説や漫画、イラストでも同様の「波」はあるのだと思いますが、短歌は31文字と作品自体のサイズが小さいため、それがすぐに現れやすいのではないかと推測しています。

考えても考えても何も言葉が浮かばないとき、その逆に頭の中が言葉だらけでゲシュタルト崩壊して、いったい何が短歌なのか分からなくなったとき、すぐに効く処方箋はわたしも未だに見付けられていません。もしそんな症状に出くわしたら――無いならもちろんその方が良いですが――、そういう症状は決して珍しいものではないし、治る時には自然と治るものだ、とのんびりぼんやり構えているのが一番いいのかな、と思っています(原稿〆切がある時を除く)。短歌から離れて遊びに行くのも良し、いちばん最初に好きだなと思った誰かの作品や、自作を久し振りに読み返してみるのも良し。

オンオフやジャンルを問わず、何かを創ったことのある方ならきっと賛同して頂けると思うのですが、義務や正しさばかり考えだすと辛くなってしまうのはきっとどんな創作でも同じです。イベント前のTLを見れば〆切に苦しむ人々の呻き声が溢れ返っていますが、それでも次のイベントに出るのは創ること、創られたものを受け取ること、そして受け取ってもらえることはやっぱり楽しいからだ、と実体験からも思います。

 

というわけで最後に、公募作品中心の楽しく読める短歌の本を2冊あげておきます。

 

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短歌同人サークル「猫又」の題詠歌会で出た歌を歌人穂村弘東直子、主催の沢田康彦が評する本。

面白いのは投稿者の多様さ。漫画家(吉野朔実)、主婦、プロレスラー、高校生、翻訳家、女優(本上まなみ)、などなど。この人達一体どんな短歌を読むんだろう……(あ、なんか納得)というのが楽しいです。

時に、え、これ短歌的にありなの!? とこっちがびっくりするような短歌が評者二人に丁寧かつ自由に読み解かれていくのを読みながら、そうだ短歌は何でもありなんだった、こんなの短歌じゃないなんて言われなくていいんだ、自分もこんな風に誰かの作品の良い所を見付けて伝えられたらいいな、と思います。

「短歌があるじゃないか。百万人の短歌入門」「ひとりの夜を短歌と遊ぼう」も、同様の企画による本です。

 

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みんな大好きドラえもん、をテーマに募集された短歌集。原作公認のため、本文中にはドラえもんの漫画がふんだんに引用されており、デザイン的にも見ていて楽しい本です(短歌は一ページ一首、吹き出しの中に入っています)。 

 

以上連載4回、自分の経験を交えつつ長々書きました。

この文章が短歌との蜜月や倦怠期を推進する一助になれば幸いです。