つきのこども/あぶく。

おはなしにならないことごと。

はじめてのおつかい・短歌の本を買ってみよう?(サルベージ・3)

短歌を知るための本について

 

殿下、何をお読みで?

言葉、言葉、言葉。(「ハムレット」W.シェイクスピア、松岡和子訳)

 

 

Twitterで流れてくる気になった短歌をお気に入りに入れながら、こういうのを集めた本がどこかにないのかな、とずっと思っていました。紙なら他のお気に入り記事と混ざらないし、ログが流れることもないからです。

好きな歌人がはっきりしているならその歌人の歌集を買えばいいじゃないかということになりますが(とはいえ短歌の場合、そう思っても欲しい歌集が絶版で入手できないことが結構あります)、そもそもあまり歌人を知らないし、いろんな人の短歌を幅広に読んでみたいという場合はアンソロジーなどを読むことになります。

短歌の紹介をする本は一首ずつ鑑賞し解説する形式か、同じ作者の歌を解説抜きでずらりと並べる形式(アンソロジー)、大抵はそのどちらかになります。とりあえずここでは5冊あげてみます。

 

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タイトル通り、俵万智が明治から現代までの恋の歌百首を、エッセイを交えつつ解説する本。学生時代に国語の先生に勧められたという話も結構よく聞く本で、図書館保有率も高い印象です。

同じ作者の「三十一文字のパレット」(中公文庫)は恋の歌に限らず、共通テーマを持つ短歌を三首ずつ、エッセイと共に紹介するという形式になっています。

 

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様々な歌人の短歌から着想を得て書かれた掌編の本。見開き2ページに短歌1首とそこから生まれた掌編が一つずつ掲載されています。ホラーというより、怪奇・幻想といった雰囲気。小説ならレイ・ブラッドベリ、漫画なら今市子波津彬子あたりがお好きな方なら気に入るんじゃないかなと思います。取り上げている短歌が全体的に最近のものが多く(2000年代に出版された歌集からの引用も多くあります)、その一方で栗本薫柳田國男芥川龍之介など、ちょっと意外な人の短歌を出してくるのも面白いです。

なお、作者の佐藤弓生は「怪談短歌入門 怖いお話、うたいましょう」では東直子、石川美南とともに公募された怪談短歌の選評をしつつ、短歌のテクニックの紹介をしています。

 

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明治から現代の歌人の名歌100首を選出したもの。歌人1人につき1首とその解説、同じ作者の秀歌2首(解説なし)を上げています。国語要覧に載ってそうな「短歌の歴史において」有名な歌人、有名な短歌を知るのにいい本です。合わせて収録された選の座談会では選出作業の裏話や紹介した歌人のエピソードについて、本当はこの歌も入れたかった、いやこっちも好きだったなどと楽しそうに語られていて、この人たち本当に短歌好きだなーと読んでて面白いです。明治から現代までの短歌の変遷に関する話と合わせて読んでいると短歌の変遷、さらにはその背後にある日本の歴史のようなものがうっすら見えてくる気がします。

なお選者の一人である永田和弘の単著「近代秀歌」「現代秀歌」(岩波新書)もそれぞれ近代の短歌、現代の短歌100首を選出し、解説した本です。

 

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昭和二十年代から六十年代までの歌人101人の代表歌30首をずらりと解説なしで掲載しています。内容的にもサイズ的にも、今回紹介する中で一番「国語要覧ぽい」本です。

このタイプの本を買ったときは最初から一首ずつ真面目に読むことは目指さず、名前に見覚えのある歌人だけ読んでみたり、ぱらぱらと捲って目についた短歌の作者のページだけ拾うような読み方をするのがいいかな、と思います。

ここは個人差があると思いますが、わたし自身は短歌が余りスペースをゆったり空けず並んでいるのを読むのはちょっと骨が折れるタイプで、調子が悪いとまったく読めなくなります。その意味でもこのタイプの本は一番最初ではなく、短歌の本に慣れて知っている歌人の名前が増えた頃に購入を検討してみてもいいんじゃないかな、と思います。

  

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ショッキングピンクの表紙が印象的な、1970年以降に生まれた歌人のアンソロジー。各歌人の作風等の概説(見開き2ページ)の後に実際の短歌56首(1頁14首。ただし一部の歌人をのぞく)という構成になっています。歌会って何、口語と文語って何だっけ、そもそも歌集ってどこで買えるのといった、短歌をやっている人達の間では当たり前の前提になっている、でも誰も教えてくれないしよく分からないことについての説明コラムがあるのも嬉しいです。後述しますが、かなり画期的な本だと思います。

「現代短歌の鑑賞101」同様、ずらりと短歌が並んでいる本なので最初は拾い読み推奨、なのですが、Twitterが切っ掛けで短歌に興味を持った人にはぜひお勧めしたい本です。(実はこの本だけ1500円をかなり超えてるのですが、敢えて載せています)

 

さて、5冊あげてみましたが、「あなたと読む恋の歌百首」「うたう百物語Strange Short Songs」のようにエッセイ込みだったり別途テーマが設定されたりしていない本については、説明文冒頭で収録されている短歌の年代を記載していたのにお気づきでしょうか。本屋さんで売っている短歌の紹介本は明治、あるいは昭和初期頃の歌から順番に収録を始めていることが多いようです。

こうした本は各作品を読みつつ、短歌の歴史を追えるようになっていますが、twitterで流れている短歌と本屋さんのこうした本で紹介されている短歌にはかなりの差があると思われます。

端的に言えば、明治や昭和初期の短歌は恐らくtwitterで流れることは少ないと思います。そしてむしろ、ここ最近の短歌の方が多く流れている。

 

Twitterで短歌に触れたばかりの頃、わたしが好きだなと思った歌人は笹井宏之や杉崎恒夫、佐藤弓生加藤千恵などでした。

なので本屋さんで短歌のアンソロジーを探すとき、わたしが思っていたのは彼らのような歌がたくさん載っている(できればコンパクトな)本はないかな、ということでした。でも、そう思って書店を探しても、わたしのイメージしているような本はなかなか見つかりませんでした。

ここで各歌人が最初に出した歌集の刊行年を確認してみます。

 

 笹井宏之:「ひとさらい」2008年

 杉崎恒夫:「食卓の音楽」1984

 佐藤弓生:「世界が海におおわれるまで」2001年

 加藤千恵:「ハッピーアイスクリーム」2001年

 

杉崎恒夫の第一歌集はぎりぎり昭和に入っていますが、それ以外はすべて刊行されてから十年前後、二十年にはまだ届いていないといったところです。そして書店に置かれた短歌のアンソロジーの大半は、この時代を射程距離に入れていません。桜前線開架宣言が画期的と書いた理由はまさにここで、この本は従来のアンソロジーが射程距離に入れていなかった(しかしtwitterでは人気のあることが多い)歌人を中心にアンソロジーを組んでいます。

その他、最近出た安藤福さんによるイラストと短歌のコラボ作品集、「食器と食パンとペン」は掲載短歌の年代を統一している訳ではありませんが、もともとがtwitterにポストしていた短歌とのコラボイラストから産まれた本なので、その意味ではtwitterで好きになった短歌を読む本としてニーズを満たしていると言えるでしょう。

 

ちなみに2013年にスタートした書肆侃侃房 の「新鋭短歌」シリーズも「桜前線~」で紹介されているような若い歌人を中心とした個人歌集のシリーズです。また、これより少し上の世代の歌人のシリーズが「現代歌人シリーズ」になります。先に上げた笹井宏之は「新鋭短歌」シリーズ、佐藤弓生は「現代歌人シリーズ」でそれぞれ歌集が出ています。Twitterで見かける・人気のある短歌が本になりだしたのは、本当にここ数年だ、といえると思います。

 

一方、インターネットにはTwitterbot以外にも、短歌を紹介する場所がたくさんあります。

今日の出版業界の状況を考えると短歌のアンソロジーや歌集はばんばん買ったほうがいいのかもしれませんが、短歌の場合、歌集を買いたくても買えない、絶版になっていたということもよくあり、インターネットが無ければ知ることのなかった歌人、というのは今も多くいるように思います。

(余談ですが短歌をやっている人には好きな短歌をノートに書き写している人が結構います。知った時にはなんてまめな人達なんだろうと思いましたが、これも買えない歌集が多く存在するのが一因ではないかという気がしています)

ここでは2つのサイトを紹介します。

 

[現代歌人ファイル]記事一覧 - トナカイ語研究日誌

桜前線開架宣言」の編者、山田航のblog。カテゴリ「現代歌人ファイル」の記事で現代歌人を紹介しています。歌の引用も多く(歌集の中でもいい歌ばかりセレクトしている、という感想を聞いたことがあります)、各歌人の作風が掴みやすいです。

 

橄欖追放 – 東郷雄二のウェブサイト

フランス文学研究者・東郷雄二が運営するホームページの短歌コーナー。歌集を一冊取り上げ、評論する形をとっています。各記事間でこまめにリンクが貼ってあるのが便利。こちらのサイトでハルシオンがモチーフになった短歌についての記事を見付けたときにはひとりで大騒ぎした記憶があります(中二病的な意味で。「ハルシオン 短歌」で検索すると出ます)。

 

どちらも評論系のサイトなので歌一首への解説は少なめ、また文章が少々固めですが、短歌が沢山引用されているので好きな短歌を探すのには良いサイトです。

その他、紙媒体では同人誌もあります。文学フリマは短詩系がかなり強いイベントで参加サークルも多く、twitterでよく宣伝がされています。最近は開催地もかなり増え、イベント後には自家通販もあるので機会があればチェックしてみてください。

 

ちなみに私が最初、短歌が上手くなるために買おうと思ったのは短歌のアンソロジーでした。理由は二つ。一つは、とりあえず良いとされている作品を大量に読めば何かしら自分の詠む短歌にも良い効果があるんじゃないか、そう考えたからです。

骨董の鑑定人は修行の際、知識を入れるよりも先にとにかく良いものをひたすら見続けるといいます。文章やイラストなら日常生活で「プロの作品」を山ほど見ますが、短歌はそうではない。ならまずは大量摂取すればいいだろうと、文語文法も短歌の意味も歴史もろくに咀嚼しないまま、当時のわたしは「現代の短歌」を頭からひたすら読み続けたのでした。(この記事の作者は社畜のため、趣味の創作も社畜精神で乗り切ろうとする癖があります)

正直、あまりいい方法ではない気がしますし、それでどの程度効果があったかは分かりませんが、食わず嫌いだった文語短歌にも好きな短歌や歌人がいることに気付けたのは個人的には良かったなと思っています。

もう一つは、「良い短歌」が分からないのをどうにかできないかと思ったからです。

短歌を詠む人をtwitterでたくさんフォローしていた頃、みんながいいとtweetする歌の良さがさっぱり分からなくて一人困惑することが結構ありました(今もあります)。SNSではありがちな話かもしれませんが、みんなが同じことを言っていて、そうは思わない自分の方がおかしいのだろうかと不安になってしまったのです。みんなが言っている「良さ」とやらをどうやったらわたしは分かるんだろう、というのは、短歌の勉強をした方が良いのかなあと思った理由の一つでもありました。

で、わかったか、と言われると、今でもよくわかりません。

とはいえどうやら、「良い短歌」の統一基準というのは無いようだぞ、と今は思っています。原作準拠のキャラクターAも好きだけど学パロのAも観葉少女パロのAも女体化のAも好きだしそれぞれの良さがあるというように、短歌における「良さ」の方向性はひとつでなくても構わないし、その方が楽しい。ただ「短歌」には学パロタグもマフィアパロタグも無くて「短歌」のタグひとつしかないから、傍から見ると同じものについて同じ基準を持って同じように語っているように見えて分かりにくいのではないか、そんな風に思っています。

(もしかすると慣れている人には透明なタグが見えるのかもしれませんが、わたしには見えないので分かりません)

誰かの解説を聞いてなるほどその解釈ならこの歌はわたしが思っていた以上に素敵だなと思えたら、そうして好きなものが増えていったら、それはとても素敵なことです。

でも極端な話、ある短歌の良さを理屈っぽく語って誰かを説得するような「ゲーム」に自ら参加したいと思わない限りは、そういうやり方で何かを誰かに伝えたいと思わない限りは、ただただ自分の好きな歌を好きだと思って「俺の考えた最強の推し」の姿を描いていければ、本当はそれだけで十分なのかもしれないと思います。花魁パロにおけるキャラクターAだけはどうしても良さが分からない、あまり好きじゃないといったことは普通にあると思うし、その時に、花魁パロのAも好きにならなければAというキャラを愛していることにはならない、ということは無いと思います。多分。

前の記事でも書いたように、何が「短歌」「良い短歌」なのかは人によって異なります。

一番大事なのは他の人が何を言っているかに関わらず自分の「推し」を大事に形にしてあげること……と書くと、あまりにも当たり前の結論なのですが。

 

20181203追記:

この記事を書いた後に刊行されたアンソロジー短歌タイムカプセル」は戦後の歌人(キャッチコピーでは葛原妙子・塚本邦雄・岡井隆から吉田隼人・大森静佳まで、となっています)の作品が収録されていますが、掲載順がこれまでのような時代順でなく、あいうえお順であることで話題になりました。収録されている、一人当たりの歌人の短歌は「桜前線開架宣言」より少なめですが、これまであまりアンソロジーなどでは見かけなかった歌人が収録されていたり、面白いラインナップになっています。

はじめてのおつかい・短歌の本を買ってみよう?(サルベージ・2)

いわゆるところの入門書というやつについて

 

「名作ってなんですか?誰が決めるんですか?数字ですか?名作かどうかなんて何の客観的証拠もないじゃないですか!」

「そうよ。恋愛と同じ。何の客観的証拠もない。でも、それは存在する。」  (鴻上尚史 「恋愛戯曲」より)

 

 

学校で出会った先生がみんな分かりやすい授業をしてくれて性格も優しい親しみやすい先生だったかと聞かれれば、そんなことはない、と大抵の人が答えると思います。性格は優しいけれど授業はちんぷんかんぷんだった先生もいれば、授業は分かりやすいけどちょっと怖い雰囲気の先生もいたり。生徒によっても好きな先生は違います。

好きな短歌や好きな歌人を見付けることより、自分にぴったりの短歌の入門書を見付けることの方が難しい気がするのは、自分に合う先生を見付けるのは難しい、ということなのだと思います。

そもそも短歌の本を読んだら短歌が上手くなるのか、わたしにはよくわかりません。ちなみにこの記事の作者は小説も書きますが、小説の書き方に関する本やライフハックを読んで小説が上手くなった記憶も特にありません。

独断と偏見を承知で言えば、短歌の入門書と呼ばれる本の内容は、主に以下の二つになるのではないか、と思っています。

 

・生徒の短歌を講評・添削(「良い短歌」に書き換え)し、技術を伝えようとするもの。

・既にある「良い短歌」を取り上げ、その歌の何が「良い」のか、理論的に解説する形で技術を伝えようとするもの。

(・短歌に関する知識。歴史や用語解説など)

(・短歌をつくるにあたっての創作・人生哲学)

 

逆に言えば多分、これしかない。

つまり、短歌の入門本で教えてくれるのはより正確に言えば「推敲の仕方(の、一部)」なのではないでしょうか。あなたが短歌で何を詠みたいか、何が詠めるか。いまどういう段階にいて、何を詠むのに向いていて、そのためにどんな歌を「良い短歌」と考えればよいか……そういったことについて、短歌の入門本は何も教えてくれません。

(ちなみにこの推敲の技術ですが、例えば二次創作小説を書いているなど、一部の人は教えられる前から無意識に会得している場合があります)

そう、どんな歌を「良い短歌」と考えればよいか。

実は「短歌」、「良い短歌」とは何なのか、という「短歌観」は人によってかなり異なります。だからこそ、難しい。「短歌観」が違えば入門本に書くべき(と考える)内容も当然変わってくるからです。

同じAというキャラクターを二次創作で描く時、A×B、A×C、D×A、どのカップリング設定で書かれるかによってキャラクターの解釈は大きく異なってくると思います。性格のどの側面が強調されるかはもちろん時に体格まで変わり、それに応じて同人誌の執筆層・購買層も変わってくるというのはよくあることです。これと同様に、「短歌」や「良い短歌」もその解釈によって、それを作るために何が必要かについての考えが変わってくるのではないか、とわたしは思っています。

本来、作品の制作技術と「良い作品とは何か」という哲学は別物です。しかし短歌においてはこのあたり、かなり一体化して語られることが多い気がしています。(個人の偏見です)

一体「短歌」って、「良い短歌」って何なんだ。

二次創作同人誌ならまずは原作を読め話はそこからだと言いたいところですが(ただしそれで解決するとは限らない)、残念ながら概念である「短歌」「良い短歌」の原作はどこにもありません。あるのはこういうものが「短歌」であるはずだ、「良い短歌」であるはずだ、という解釈(信念)のもとに作られた作品や評論、入門本だけです。

かくして「俺の考えた最強の推し」短歌についての本がたくさん作られ、カップリング表記も注意書きもないまま短歌の本として本屋の詩歌棚にいっしょくたに並べられ、短歌のTLや雑誌では「俺の『短歌』はそんなこと言わない」と識者が激論を交わしているのが現状です。(繰り返しますが全て個人の偏見です)

 

何度でも繰り返しますが、何が「短歌」「良い短歌」なのかは人によって異なります。57577が定型とされていますがそれさえ「基本的には」であり、字余りや字足らずをした短歌が即座によくない短歌となる訳ではない、ようです。何度指折り数えても31文字以上ある、どこで区切って呼んでいいかわからない短歌を取り上げ素晴らしいとほめる人がいる一方で、57577は死守すべきだから字余り字足らずがあるなら必ず推敲するようにと言う人もいます。そういう本が、一緒に並んでいる。

本屋さんにある短歌の入門本は全て、誰かにとっての「俺の考える最強の推し」短歌を作るための本です。それは「私の推し」がどんなものか、それを作るためにはどうすればいいかを考えるための参考資料であり、それ以上でもそれ以下でもないのだと思います。だってA×Bが描きたいのにE×Aを描くための技術を教えられても、何も役に立たないとまでは言わないけれど、でも結構困る。

 

……前置きがとても長くなりました。

ここでは4冊、短歌の入門本を紹介します。本と同時に執筆者である歌人の短歌も紹介しています(()内は掲載歌集名)。ある人が何が「短歌」であり「良い短歌」と考えるかは、その人がどんな短歌を詠みたいと思っているか、詠んだかということと、恐らく繋がっているだろうと思うからです。

手に取った本に書いてあることが自分の『推し』には合わないなと感じたらそっ閉じして次へ行きましょう。それだけのことです。

  

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地ビールの泡(バブル)やさしき秋の夜ひゃくねんたったらだあれもいない(チョコレート革命) 

ひかれあうことと結ばれあうことは違う二人に降る天気あめ(かぜのてのひら) 

投稿歌を添削する形式で短歌のテクニックを紹介する本。アドバイスが具体的でこの中から1個くらいなら普段から意識できるかな、というものが多いのと、短歌に限らず、伝わる文章、イメージの広がる文章ってなんだろうという観点からも示唆が多いと思うので、短歌を詠まない小説書きさんにもお勧めできる本です。

個人的には初読時、P25に書いてある推敲方法の大胆さに結構びっくりしました。機会があれば見てみてください。

 

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好きだった雨、雨だったあのころの日々、あのころの日々だった君(ますの。)

葬式は生きるわれらのためにある 君を片付け生きていくため(ますの。)

著者のキャラに結構癖があるのでその点好みがかなり分かれそうですが(ご本人が教祖だと言っているくらいなので。とはいえ「短歌観」を宗教と言い切るのはある意味非常に誠実だと思います)、文字数の数え方といった初歩からきちんと説明している入門本は実は結構珍しい、と思います。

こちらも投稿歌を添削する形式ですが、他人に刺さる言葉を作るのは「感性」じゃない、とにかく考えろもっと考えろ、とはっきり言う本だなと思います。同じ内容の歌を5通り考えろという項があるのですが、実際5通り並んで見せられるとすごく説得力があります。同作者の「一人で始める短歌入門」の方がやさしい、みたいです。

なお、宇都宮敦さんの書かれた「その先の『かんたん短歌』」(BLOG寄稿記事)は、「俺の考えた最強の推し」短歌をどうやってひとりで作っていけるのか、についての話だと思っています。

ちなみに枡野氏は「短歌という爆弾」(穂村弘)文庫版の後書きを書いています。この本がいかに短歌初心者向けの本では「ない」かということを説明していて面白かったです。

 

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俵万智が短歌の初心者・一青窈にマンツーマンで短歌を教える、という本。メールによる往復書簡の形式で進みます。

時にツアー先や旅行先から送られて来る一青窈さんのメールには作者本人による「ハナミズキ」の歌詞の解説があったり、旅先の風景について語られたり。本の最後にはみんなで吟行してみたり、短歌と合わせてエッセイを読むように楽しめます。短歌というより一青窈さんが面白い本です。

余談ですが、旧かなの記載は三省堂の国語辞典に書いてある、というのをわたしはこの本で知りました。往復書簡最初の、俵さんが一青窈さんに説明する「短歌」の説明がシンプルなんですが妙に好きです。

 

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きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり(メビウスの地平)

背を抱けば四肢かろうじて耐えているなだれおつるを紅葉と呼べり(黄金分割)

歌人の歌や新聞歌壇の歌を引用しつつ、筆者の思う「いい歌」とはどんな歌なのか、どんなテクニックを使っているものなのかについて解説しています。結構分厚い本なのですが、もとは雑誌連載なので小パートごとにまとめられており、見かけより読みやすいです。

こちらは初心者というより、ある程度短歌を詠みなれた人が読むのにいい本なのかな、と思います。本文中でくりかえされる「読者を信頼して作品を差し出しなさい」というメッセージに、読んだ時にとてもほっとした記憶があります。一度絶版となりましたが、最近新版が出ました(そして更に分厚くなった)。

 

 

20181203追記:

短歌の入門本について私が困惑したのは、多くの入門本が言葉を定型57577に収めることについて、「当然できるもの」として書いていたから、というのも理由の一つではないかと思います。当然できるものとされているので、この点については本の中に何も書かれていないのです。これは2018年現在もおそらく変わっていないのでは、と思います。

言葉が短歌の定型に収まっているか、それがちょうどいい感じ(ぴったりはまっていて気持ちいい場合も、あるいは意図的にずらしているのが格好いい場合もあります)かどうかを判断する、いわゆる定型感覚は音楽のリズム感に少し似ている気がします。「感覚」なので個人差も大きいことから、とにかく作ること・過去の事例を読むことをこなして自分なりの好きな感覚を掴みましょうとしか言いようがないのかな……と推測していますが、個人的な経験談として、折句などは「言葉を57577で納めるのが苦にならない」ようになるための訓練も兼ねられて結構よかったな、と思っています。

その他、短歌ではありませんが俳句の本で『俳句を遊べ!』は定型や言葉に慣れるための遊び(5文字、7文字の言葉をテーマ別に集めて組み合わせてみるなど。これはコピペ短歌が少し似ているかもしれません)がいろいろ提案されてて面白かったです。『俳句を遊べ!』の佐藤文香さんの俳句講座はwebで読めるものだとこのあたりも面白かったです。ご参考まで。

 

はじめてのおつかい・短歌の本を買ってみよう?(サルベージ・1)

昔書いたけどお蔵入りした文章をサルベージ(一部加筆修正あり)してみました。短歌の本を独断と偏見込みで紹介する文章です。

もとは短歌を詠みだして3年目の頃に書いたものですが、「短歌ってよく分からないね」というのは今も変わらないなとつくづく思います。

なお、テンションが変だったりいきなり妙なことを言いだしたりしますが仕様です。連載4回分です。 

 

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いつか、パディントン駅で(短歌中心百合アンソロジー・きみとダンスを 寄稿作品)

2015年4月19日発行の百合詞華集「きみとダンスを」(紙媒体は頒布終了、現在は電子書籍を配信中)寄稿作品。中山明さんのオンライン歌集ラスト・トレインの一首の解凍小説を書きました。ちなみに本では一番最後に掲載されていました。実はちょっとした仕掛けを入れたりしてるのですが、結構気づいて頂けたり、ご感想を頂けて嬉しかった記憶があります。

短歌、俳句、イラスト、小説の合計18名によるアンソロジーでした。

主催の柳川麻衣さま、有難うございました。

 

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ライナーノーツ(曲連想創作アンソロジー「THERE'S A VISION」(5/4SCC))、他(片隅での連載終了について)

5/4のSCCにてリリース(頒布)されるアンソロジー「THERE'S A VISION」に短歌連作で参加します。

アンソロジーの詳細はこちら。

www.pixiv.net

CDサイズ特寸本、12名によるアンソロジーです。表紙のイラストがとても綺麗なのと、豪華メンバーと好きな曲ばかりなので、読者としても読むのが楽しみです。

主催のあずみさんには表記の関係など大変お世話になりました、ありがとうございます。

ちなみに私は「五つの橋」で参加します。短歌の30首連作です(上記リンク先で冒頭2首が読めます。5/5追記:29首の間違いでした、すいません)。結構人気の曲だと思うので緊張しています。

ちなみに原曲歌詞も75調が多いです。

zabadak 五つの橋 - YouTube

五つの橋/ZABADAK-カラオケ・歌詞検索|JOYSOUND.com

 

印象的なギターから始まる五つの橋ですが、物語仕立ての歌詞も相まって情景が鮮やかに浮かぶ……ようで、実は結構不思議な歌詞だなと結構前から思っていました。

まず、楽器が何かわからない。

私の個人的な感覚では歌詞二番に出てくる「チャルダッシュ(チャールダーシュ)」はヴァイオリン演奏で有名なモンティの曲があるので(運動会とかでよく使われてます。ただし調べたところ、もとはマンドリン用に作曲された模様)ヴァイオリンのような気がしてしまうのですが、一方で冒頭イントロのギターの印象も相まってか、一番の中で歌われている楽器は吟遊詩人の持つリュート系のイメージもあったりします。

原稿提出後、この歌に出てくる「古い楽器」がどんな楽器だと思うか、twitterでアンケートも取ってみたのですが、ヴァイオリン系、リュートマンドリン系、ハープ系と結構票がばらけて面白かったです。実際、そう思って歌詞を読むと楽器が特定できるような情報は余りありません。この世界には存在しない楽器、という可能性だってあるわけです。

次に(これが現実世界の話だとしたら)時代がよく分からない。

チャルダッシュ(チャールダーシュ)」はハンガリー系の民族音楽がもとではありますが、実際には19世紀、すなわち民族自決主義の時代(国民楽派の時代でもある)に生まれ・流行したものです。ではここで歌われているのは全部19世紀の話なのか、というと、しかしちょっと迷ってしまうところがあります。「国境の草原」とか「見張りの塔」とかのあたりはやっぱりもうちょっと昔、中世、吟遊詩人の時代を想定しているのではないかなと。

更に言えば「旅の男」はどこを旅しているのか。地形やルートにもよりますが五つ橋を渡るって結構移動距離長くないか、とも思ったり。

いやいやそんなこと気にするのはお前くらいだ、そこはふんわりファンタジー世界を楽しんでおけよと自己ツッコミはいれつつ、でもだとしたら三人称の遠く綺麗な回想でなく、「旅の男」と今は店の中で眠る「古い楽器」はかつてどんな景色をリアルタイムで見ていたんだろう、というひとつの可能性として連作を作りました。

ジプシー、吟遊詩人、流浪の民、旅芸人といったモチーフには幼い頃から憧憬がありますが、ではたとえば旅を続ける「旅の男」にとって「見張りの塔」とはどんなものだったのだろうか、とか。

少しでもお楽しみいただければ幸いです。

 

なお、SCC後はデザフェス、夏コミなどで頒布予定のようです。通販は無いとのこと。詳細は上記リンクをご確認ください。

 

 

さて、話は変わって。

web文芸誌「片隅」での1年間の連載が終了しました。短歌とエッセイを掲載していただいてました。

 

m.kaji-ka.jp

「片隅」(を運営している伽鹿舎)はこれから紙媒体の出版業がメインになっていくようです。つい先日、雑誌「片隅02」が刊行されました。

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先日の地震のこともあり、いろいろと慌ただしい中雑誌が刊行されたことは奇跡的なことですが、一方で関係者の方にとっては大変なことだろうと思っています。

文学も、地震のことも長期戦のことなので、関係者の方におかれては難しいけれどもどうか無理をしすぎず進んでいけますように、と思います。

こちらも、またご縁を頂けるよう頑張りたいなと思っています。