つきのこども/あぶく。

おはなしにならないことごと。

共有結晶別冊企画ごあいさつ(または、金属バットを無理なく無駄なく振る方法について)

共有結晶別冊企画(二次創作短歌非公式ガイドブック。詳細はこちら)のごあいさつです。
好きな劇団はいつも開演前にごあいさつを書いた紙を配っていてそれを席で読むのが好きなのですが、そんな感じです。

別冊は企画書から書いていることもあり、前書きやら後書きやらキャプションやら正直鬱陶しいくらいに色々書いてるのですが、一方でそれのみで完結した「本」にするため、本の中には書かなかったこともありました。
つまりこれは場外乱闘、本来ならばルール違反ですが、必要な方に届けばいいなと思います。

 

pixivにTIGER&BUNNYの短歌とイラストを組み合わせた作品が投稿されてて、共有結晶の編集メンバーの間でちょっと話題になってるんだよ。
あのひとは結社とかに所属してるのかな。短歌やってるなら知らない?

友人だった共有結晶創刊号メンバーからそう聞かれたのはわたしが短歌を詠み始めるようになって半年経ったかどうかといった頃のことでした。
ドラえもん短歌の本なども読んではいたけれど、いわゆる二次創作同人と同じ感覚で詠まれていると感じられる二次創作短歌をわたしが初めて知ったのは、多分その時だったと思います。
(ちなみに詠み手さんについては知りませんでした)


その後自分も共有結晶vol.2、3に参加、進撃短歌本に参加したり二次創作短歌の個人誌を2ジャンルで頒布したりネプリアンソロを主催したり、twitterでタグ遊びに参加したりと、恐らく共有結晶の編集メンバー(というのがどこまでを指すのか、正直わたしにもよく分かりませんが)の中で二次創作短歌に最もかかわっているのは自分だろうと思います。
……より正確に言えば、共有結晶に関わっている人たちの中である程度以上の頻度で短歌(二次創作短歌を含む)を詠み、歌会や批評会、企画への投稿やタグ遊びなど、その手の「場」に継続的に参加している人自体がそもそも少数派なのだと思いますし、それは「減っていった」のだと思っています。

共有結晶vol.2の別冊として進撃短歌本を出していたこともあり、二次創作短歌について共有結晶でなにかできないか、という意見は共有結晶vol.3を出した直後から当時の編集メンバーの間で出ていたと記憶していますが、今回わたしが非公式ガイドブックを作ろうと思ったのは記録を残したいと思ったからです。
短歌に限らずweb、特にtwitterSNS上での活動記録は、残そうとしなければあっという間に消えてしまいます。二次創作短歌の場合専用タグはジャンルごとに発生しユーザーも異なるので、二次創作ではない短歌よりも記録の消えるスピードは速いかもしれません。
わたしがタイバニの短歌を知ったのは5年ほど前ですが、短歌による二次創作という手法があることをこのジャンルで初めて知った、という声をその後複数の二次創作短歌タグで見るたび、それまで届かなかった場所へまで「短歌」がどんどん届いている、広がっていることにわくわくしつつ、なるほど時間が経てば、目に入らなければ何もかも無かったことになるのだなあ、まして評価なんてされるわけもないなあと、当たり前のことを痛感したのでした。

(その意味では角川「短歌」2017年5月号掲載の黒瀬珂瀾さんの評論で2013年に頒布された進撃短歌本について言及、歌を引いていただいたことは、本の制作に携わった者の一人として大変ありがたいことでした) 

別に自分たちの「外」に届けようとか、そんなことは誰も目指していない。

ずっとそうだったしそれで何も問題ない。その方がいい。

そういう意見もあるだろうなとは思いますが、わたしはそうではなかった、ということです。

 

先に書いた通り二次創作短歌の場合、SNSでの専用タグや交流などは大抵、ジャンルごとに発生します。
そのなかで、この人たちは短歌についてもっと勉強するべきだ、こんなのは短歌じゃない、二次創作短歌は二次創作だとわかるようにすべきではないのか、そもそも二次創作短歌の定義とは、などといった「素朴な」意見や疑問がどこからか投げられ、それを目にしてひっそりと黙り込むひとたちがいるという流れを、わたしは複数のジャンルで見たり聞いたりしています。

興味のあるものについて発信することでこれまで出会えなかった同好の士と出会えるのはネット、特にSNSの利点であり特徴だと思いますが、好きなものに対する批判や無遠慮な言葉が、例え自分宛でなくても自分に向けられた言葉のように感じられて傷ついてしまう、「ふと」目に入ってしまう、届いてしまうというのもまた、SNSの特徴なのだと思います。

(そんな意見や状況、見たことも聞いたこともない、という方は自分自身がいわゆる二次創作短歌の詠み手で、かつ頭の中でもうひとりの自分がそういうことを言いだしてきたらどう応えるか、友人がそうした意見に傷ついたり迷ったりしていたらどうするか、想像しながら以下の文章を読んでいただければと思います)

きっとその人にとっては初めて触れた目新しい文化で、だから何かしら自分なりにコメントしたくなったのだろう、そういう心性は自分にもある。

そう思いつつ、この手の物言いをする人の切り口が目新しいことは殆どないし、言及した対象について深く知ろうとしたりやり取りをする気がある人はもっといない、なのにそれが嫌でも目に入る、使い方を間違えたSNSというのは実に鬱陶しいことであるなあ……というのが不詳、bl短歌というものに多少なりともかかずらってきた人間の個人的な感想ですが、そのジャンルで初めて(二次創作)短歌を知った誰かがそうした言説に出会って怒ったり悲しんだりすることが繰り返されるのを見るのは、まるで陳腐なループSFの主人公にでもなったようで、結構切ないものがあります。

創作なんて自分の好きにやればいいと言われれば勿論その通りだろう。だけどそれなら時にわざと、相手の目に入るようなやり方さえ選択しながら人の創ったものや考え方を見下すような言いかたをすることは、それについてあの人はそういう人だから、よくあることだからと見て見ぬふりをすることはみんな「仕方のない」ことで、腹を立てたりショックを受けてはいけないことなのだろうか。偶然目に入った誰かの言葉に傷ついたり迷ったりするのは、いつも迷ったりする側の弱さによるもので、言った側には何の責もないのだろうか。

その言葉の内容は本当に「妥当」なのだろうか。

何度でも何度でもくりかえし、SNSでそう主張すればいいのかもしれませんが、それでどうにかなるほど私は影響力のある立派な人物でもないしTLで見知らぬ人と論争する勇気も根性もないし(けれど、こうしていま抽象的な書き方しかできないのならば、本当はその都度、何かしら言葉にした方が良かったのではないかと今にして思います)すべてを見渡せるわけでもない、そうこうしている間にもタイムラインは流れ続けてだから多分こうした出来事は決してなくなりはしないだろうけれど、まあでも実際これ今かなり流行ってるし、共有結晶名義で本にした方が記録だって兼ねられるし色々なものの威光や手助けも借りられて面白いことも出来そうだし諸々手っ取り早いんじゃね? ということでこの本の企画書はできました。
……と書くとなんだか色々真面目に考えてる人っぽいですが、ぶっちゃけ、このテーマで本作ったら結構売れるんじゃないかなーと思ったことは否定しません。お金とマーケティングは大事。

 

非公式ガイドブックという本のタイトルは言うまでもなくパロディですが、数年前に自分は短歌の入門書本の紹介文を書いています。
紹介文については本のラインナップは変えないまま、大幅に加筆修正したバージョンを今はこのblogに掲載していますが(

はじめてのおつかい・短歌の本を買ってみよう?(サルベージ・1) - つきのこども/あぶく。 がそれにあたりますのでご興味あれば)、もともとこの文章は共有結晶の掲載コンテンツにできないかと提案を兼ねて書いたものの、「そういう内容の文章を掲載することはいわゆる「歌壇」の価値観を共有結晶がそのまま踏襲し提示することになるのではないか、それは共有結晶の読者にとって良いことではないのではないか」という指摘を受け、議論等の結果、お蔵入りにすると決めたものです。

当時受けた指摘の趣旨を今でこそ当時よりは理解できると思っていますが(つまり無自覚にせよ当時の私は「見下していた」ということです)、今回、別冊企画を進めていく中でこれに近い指摘と「再会」した時には正直とても驚きましたし、主催する本のタイトルに、非公式とはいえ「ガイドブック」とつけた自分については改めて考えさせられました。

そんなことが過去にあったので、かつて書いた文章に指摘を受けたように、今回自分が企画・主催した本について、こんなもの相容れない、間違っている、乱暴なことをするな、こういうやり方をすることで踏みにじられるものがあるのだと感じる人がいる可能性は十分あるだろうなと思っています。

 

最初に書いた通り、私にとってこの本を作ろうと思った最初のきっかけは記録したいと思ったことでした。

それが「ある」とまず言わなければ肯定も否定も語れないし、語り論じたとしても意味あるものにはなりません。人によって、タイミングによって異なるものが見えるSNSと異なり本は誰がいつ読んでも同じ内容が常に示され、後から読み返すこともできます。ここに「ある」、これには価値が「ある」のではないか。今なにが「ある」のか、今度はあなた自身の目で見てみませんか。大げさに言えば未来に向けてそう言うために、わたしはこの本を作ろうと思いました。

だから本という形にさえなれば、この本の第一の目的は達成されます。

 

でもこの本が、自分のようにtwitter、あるいはtwitterで生まれた二次創作短歌やBL短歌が切欠で短歌というものに触れるようになった誰かにとって、陳腐なループSFを断ち切るための何かになればいいなと、傲慢かもしれませんが、思っています。

 

表紙イラストはもちろん本文デザインまで、とてもかわいい本になりました。
好き放題を許してくれた関係各位には改めて感謝しつつ、手に取ってくださったすべての方に少しでもお楽しみいただければ幸いです。